協会誌巻頭言

当協会について

平成の終わりに

公益社団法人熊本県精神科協会 会長 相澤 明憲

新年,あけましておめでとうございます。

昨年もいろいろなことがありましたが,熊本県精神科協会は大過なく運営されました。協会は,また1年間地域の精神科医療に貢献をおこなうことができたものと思っています。会員の皆さん,会員病院の職員の皆さんの協力のたまものであり,地域の多くの皆さんとの連携のたまものであると考えます。こころより感謝いたします。

現在の熊精協の活動の基盤は,多くの先輩方の努力により築かれたものです。その先輩のお一人である王丸道夫先生が,春の叙勲において瑞宝小綬章を受けられました。先生の地域精神医療への貢献に対するものであり,協会にとっても大きな名誉とするところです。

平成の終わりの年を迎え,平成の30年間を振り返ってみます。

平成元年に熊精協事務局が独立し,くませいビルに移転しました。現在も協会の活動の拠点となっています。

平成6年には,あかね荘に加えて,あかねワークセンター,あかねホームが完成し,現在の「あかねの里」の体制が完成しました。今になって国が進めようとしている社会復帰,地域ケアの枠組みを24年も前に先取りしていたものであって,事業を進めた先輩方の慧眼には敬服するほかありません。

平成15年には,入院中の方々の高齢化をふまえ,それまでのソフトボール大会に代わる催しとして,くませいフェスタが始まりました。全協会員参加の大きな行事ですが,入院中の皆さんの楽しみとして,そして会員間の協力体制を確かめ合う機会として現在も意味を失っていません。

平成18年に熊本で「日本デイケア学会」を県立劇場で開催しました。会員の皆さんの協力を得て,全国から多くの参加者を迎えました。歌手橋幸夫氏の認知症介護の講演には多くの一般市民の聴講もありました。

平成19年 協会のあかねの里の運営などの活動が認められ,「第59回保健文化賞」を受賞しました。その時の会長宮川洸平先生は,受賞後皇居に赴かれ,天皇陛下からお言葉を賜ったと伺っています。

平成21年 熊本に認知症疾患センターが設置されるのに際して,当時熊本大学神経精神科教室に赴任されたばかりの池田教授の発案で,基幹センターを大学の精神科に,各地域のセンターを地域の精神科病院が担うという方式が採用されました。これは熊本方式と呼ばれるようになり,全国のモデルともなっています。

同じ年,第62回九州精神神経学会,第55回九州精神保健学会が熊本で行われ,多くの参加者を迎えました。来年にはまたこの二つの学会を熊本で行うことになっています。会員の皆さんのご協力をお願いいたします。

平成24年に,協会はそれまでの社団法人から,公益社団法人となりました。名前も「熊本県精神科病院協会」を「熊本県精神科協会」と改めました。活動の軸となっているのは民間の精神科病院ですが,公的な病院や精神科の診療所また精神保健福祉センター等行政も会員となる全国でも類を見ない組織であることからそのような名称となったのでした。

平成28年4月に熊本地震が起き,会員病院も被災しました。発災直後からの会員間の協力が図られ,地域の精神科医療の被害を限りなく少なくすることができたと思います。10月には被災者の精神科医療を担う組織としての「こころのケアセンター」事業を県から受託しました。その後協会誌の別巻として「2016年熊本地震の記録」と「大規模災害熊精協対応マニュアル」を発行し,さらなる災害に備えようとしています。地震により大きく被災した会員病院も復興の歩みを力強く進めています。

今年は必ず改元があり,「平成」は終わりになるということが決まっています。

新しい元号はどんなものになるのだろうと考えてみました。中国文学者高島俊男のエッセイに,元号に関する話があります。文芸春秋社「お言葉ですが」。10巻ほどのシリーズ第1巻の「みずほの国の元号考」という題の一文です。もともとは週刊文春の連載エッセイで,初出は1996年とあるので平成8年のもの。おおむねこんなことが書いてあります。

「平成」という元号は昭和の終わりにだれかが考えたというものではない。実は明治の一つ前,慶応への改元のときにも候補に挙がり落選したものである。この時は41もの候補が出されている。元号を決めるときには,たいていはたくさんの候補が出され,その中の一つが選ばれる。例えば「明治」は足利時代から候補に挙がり,実に10回目に当選したものである。こういうことは秘密でもなんでもない。森鴎外の「元號考」に出ている。

それから高島先生はこう提案します。

日本のものであるのに,いつまでも他国の古典をありがたがってそこから元号を作るというのをやめてはどうか。日本の言葉の元号はどうか。例えば「豊葦原瑞穂の国」の「みずほ」,「秋津洲」の「あきつ」,「八雲立つ出雲」の「やぐも」。「みずほ元年」なんてすてきではないか。

小生,最初にこの文を読んだときに大変興味深く思い,また感心もして鴎外全集の「元號考」の載った巻を買ったのでした。「元號考」は鴎外が帝室博物館館長時代に執筆した生涯最後の仕事だそうです。「大化」から「大正」までの元号,改元の理由,その時挙げられた元号の候補,その典拠となったもの,提出者の名前が淡々かつ綿密に記されています。元号はほとんど漢字2文字ですが,奈良時代には「神護景雲」といった4文字の元号が五つあります。持統天皇のはじめ「朱鳥」には「此云,阿訶美苫利」とあるので「あかみとり」と読むのでしょう。そうなら唯一の訓読み,すなわち和語の元号です。これは,赤い雉が捕れて朝廷に献上されたことに由来するのだそうです。

「平成」は高島先生のご指摘通り慶応への改元の際の候補として出てきます。典拠は「大禹謨」地平天成,………。選んだのは菅原修長。ちなみに候補を提出する人のほとんどが菅原姓です。たぶん天神さまのお血筋の学者さんでしょう。

さて,新元号です。なるほど和語からとって,「ちはや元年」「まほろば元年」「わだつみ元年」などもよいなあ,などと勝手に考えたりしましたが,ちょっと JR特急に間違われそうだし,これは望み薄。

平安時代にすでに候補に挙げられ,その後江戸時代まで何度も候補に挙がりながら,いまだに元号として採用されていないものに「天祐」というのがあります。初めに提出したのは三善為正,典拠は易経「自天祐之,…」。略したときに「大正」と Tが重なるからダメという人がありそうですが,私はあの H○○年,S○○年という書き方が嫌いなのです。自分の国の元号をアルファベットで略すことをよしとしない。せめて平○○年と書きたいし書いてほしい。「天祐」が元号になると,T○○年では「大正」と紛らわしいので,天〇〇年と書かざるを得ないのではないかというのも,私の提案理由です。

それに,この国の未来は行き詰まってきたという声をやたらに耳にする昨今,「天祐」すなわち「天の祐(たす)け」という元号,案外良いと思いませんか。

30年前の1月,人のよさそうな官房長官がテレビ画面の中で「平成」と筆で書かれた額を掲げて,新元号は「ヘーセー」と言った時,ずいぶん薄っぺらで軽々しいと感じたものでした。しかし,それから日本で,世界で,良いことと悪いこと,明るいことと暗いこと,楽しいことと悲しいこと,たくさんできごとがあり,そして平成を生きた一人一人にたくさんの経験があり,それが「平成」という元号に結びついた。「平成」はこの30年という時間を象徴する厚み,重みをもつようになりました。今「平成」と聞いて軽々しいと思う人はいないと思います。

畢竟,元号の言葉としての意味がどのようなものであっても,人が元号に感じる色合いや明暗は,その時代の社会の出来事や人々の生活によるものになるのでしょう。新しい元号で象徴される時代が,元気で明るいものになることを大いに期待しています。

 

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